言葉より、生き方が伝わる|人を動かす「模範」の力

オーナーシップ

「子どもが言うことを聞いてくれない」

「何度説明しても、なかなか伝わらない」

そんなふうに感じることはないでしょうか。

でも、人はそもそも

誰かが何を言ったか以上に、

その人が実際にどう生きているか

を見ているのかもしれません。

人を動かしたいなら、まず自分が動く。

何かを伝えたいなら、まず自分がその姿を示す。

それが、模範となって周囲を導くということなのでしょう。

人は「言葉」より「行動」から学ぶ

イソップ物語に、カニの親子の話があります。

母ガニが子ガニに言いました。

「そんな横歩きではなく、ちゃんと真っすぐ歩きなさい」

すると子ガニは答えます。

「僕は母さんの歩き方を真似しているだけだよ」

親からすれば、身につまされる話でしょう。

人は、言われたこと以上に、

見たものを真似して学びます。

心理学では、こうした学習を「モデリング」と呼びます。

特に子どもにとって、最初のモデルは親です。

親がいつも「ありがとう」と言う家庭では、子どもも自然と感謝を口にするようになります。

反対に、親が何かあるたびに「面倒くさいなあ」と言っていれば、

ある日まったく同じ口調で、子どもからその言葉が返ってくるかもしれません。

子どもは親の何を見ている?

子どもは、親の「言うこと」を聞いていないように見えますが、

親の「やっていること」はよくよく見ています。

「スマホばかり見ないで」と言いながら、自分の手にはスマホがある。

「早く寝なさい」と言いながら、自分は夜遅くまで動画を見ている。

「使ったものは元ある場所に置きなさい」と言いながら、自分は毎朝メガネを探している。

私たちは、言葉と行動がいつも一致するわけではありません。

だからこそ、

「何を言うか」という以上に、

自分はどんな姿を見せているだろうか

と振り返ることが大切なのでしょう。

人を動かすリーダーの共通点

歴史を振り返っても、

人を本当に動かしたリーダーたちは、自ら行動した人たちでした。

アレクサンダー大王は、兵士に「進め」と命じるだけではなく、自ら最前線に立ったと言われています。

米沢藩を立て直した上杉鷹山も、家臣や領民に倹約を求める前に、自ら質素な生活を実践しました。

ネルソン・マンデラも、和解を訴えるだけでなく、自らかつての対立相手へ歩み寄る姿を示しました。

人は、

「何を言ったか」だけではなく、

その人がどう生きたか

を見ています。

だからこそ、「模範」には、人を動かす力があるのです。

イエス様が弟子の足を洗った理由

ヨハネによる福音書13章には、

イエス様が弟子たちの足を洗う場面があります。

それは、十字架を目前にした最後の夜のことでした。

聖書にはこう記されています。

世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された。

当時、客人の足を洗うのは、仕える側の人が担う仕事でした。

ところがイエス様は、

自ら席を立ち、

上着を脱ぎ、

手ぬぐいを腰に巻き、

弟子たちの足を洗い始められました。

教師であり、主であるイエス様が、

自ら仕える側に立たれたのです。

それは単なる親切ではなく、

愛とはどう生きることなのかを、身をもって示した行為

でした。

「互いに愛し合いなさい」を行動で示す

足を洗い終えたイエス様は、弟子たちにこう言われます。

主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである。

そして、

わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ。

と語られました。

イエス様は、

「愛し合いなさい」と語っただけではありません。

その前に、

自分が愛する姿を見せた

のです。

最後の夜、弟子たちの心に残されたのは、

一つの教えだけではなく、

「先生が自分たちの足を洗ってくださった」

という、忘れられない愛の記憶だったのではないでしょうか。

次の世代に何を残すのか

次の世代に伝えたいもの、残したいものは何でしょうか。

大切にしてほしい価値観。

守ってほしい信仰。

人を愛すること。

感謝すること。

誠実に生きること。

でも、それらは「言葉」だけで伝わるものではないのでしょう。

子どもたちは、

「親が何を言っていたか」以上に、

「親がどう生きていたか」

を覚えているものです。

もちろん、完璧である必要はありません。

自分ができていないことを、子どもに伝えることだってあるでしょう。

大切なのは、

「私はできている」と見せること以上に、

自分もそれを目指して努力している姿を見せること

なのだと思うのです。

キリストに倣って生きる

使徒パウロは、こんな言葉を残しています。

わたしがキリストにならう者であるように、あなたがたもわたしにならう者となりなさい。
(コリント人への第一の手紙11章1節)

これは、

「私は完璧だから、私にならいなさい」

と語ったのではありません。

パウロ自身もまた、

キリストを模範として歩もうとしていた

のです。

人は、遠くにいる完璧な人よりも、

身近で努力している人の姿に勇気をもらうことがあります。

失敗しながらも、

もう一度立ち上がる。

愛せなかった時に、

もう一度愛そうとする。

自分の弱さを抱えながらも、

より良い生き方を目指していく。

ナサニエル・ホーソーンが『大いなる岩の顔』という物語を書きました。

少年アーネストは、「この岩の顔に似た高貴な人が現れる」という言い伝えを信じ、

いつかその人に会いたいという思いで、偉大で高貴な「岩の顔」を見上げ続けました。

そうして、年月を重ねた後、思いやりの深い人として成長したアーネストを見て、人々は気づくのです。

「彼の顔、あの岩の顔に似ているじゃないか」と。

人は、何を見つめて生きるかによって、少しずつその姿に近づいていくのかもしれません。

模範とは、完璧な人になることではない

模範になるということ。

それは決して、欠点のない人になることでも、

失敗しない人になることでもありません。

より良い生き方を見つめ、

そこへ向かって歩み続けること。

キリストが示した愛にならい、

その模範に少しでも近づこうとする――。

そんな私たちの日々の姿が、

知らないうちに、

家族や子どもたち、

身近な誰かにとっての「生きた模範」になるのだと思うのです。

聖書のことば

「わたしがキリストにならう者であるように、あなたがたもわたしにならう者となりなさい。」
(コリント人への第一の手紙11章1節)

動画で観る

このブログのメッセージを、YouTubeで配信しています。ぜひご覧ください。

ブログの感想

言行一致が大切であることは、当たり前でありますが、なかなかできていないことを改めて反省しました。

まず子供の見本になることが大切だと思いました。

相手の不足ばかり目に付き、自分自身の行動はどうであったのか?
自分がどのように努力するのかに心を向けて、取りくんでいきたいです。

この記事を書いた人
朝陽ともる(筆名)

信仰をもつ家庭に生まれ育った宗教二世。
長年、宗教二世の牧会相談や家庭相談、若い世代の結婚・夫婦相談に携わる。
現在は、日常の家庭生活や人間関係における信仰のあり方、心の整え方をテーマに、「FPAモーニングサービス」にて礼拝メッセージを配信中。
本ブログでは「朝陽ともる」の筆名で、朝の光が心にそっと灯るようなメッセージを綴っています。

朝陽ともる(筆名)をフォローする
オーナーシップ