「責任」と聞くと、少し重たい言葉に感じるかもしれません。
できれば背負いたくない。
なるべく避けたい。
そう思うこともあるでしょう。
けれど人生を振り返ると、
本当に人が成長するのは、何か大きな責任を任された時ではないでしょうか。
親になった日。
初めて部下を持った日。
あるいは誰かに「あなたにお願いしたい」と声をかけられた日。
その瞬間から、人は少しずつ変わり始めます。
なぜなら、
責任は、人を育てる力を持っているから
です。
責任は「立場」とともに与えられる

親になれば、子どもを守る責任が生まれます。
先生になれば、生徒を導く責任があります。
会社で役職に就けば、チームを支える責任があります。
責任とは、自分で選んで拾いに行くものというより、
与えられた立場とともに託されるもの
なのです。
兄や姉だから弟妹に譲るよう言われたり、
親になった途端、誰もが「親」としての役割を求められたり。
最初から完璧にできる人はいません。
それでも、その立場に立つことで、人は少しずつ成長していきます。
大切なのは肩書きではなく役割

社会心理学には「役割期待」という考え方があります。
人は、その立場に応じて周囲から期待される役割があります。
親なら子どもを守ること。
教師なら生徒を育てること。
上司なら部下を導くこと。
もちろん、人に好かれることも大切です。
でも、好かれることだけを優先すると、本来果たすべき役割を見失ってしまうことがあります。
例えば、
教師が嫌われたくないから注意をしない。
医師が患者に嫌われたくないから必要なことを伝えない。
信号機が車に嫌われたくないから、青信号しか出さない(?)
それでは、本来の役割は果たせないでしょう。
立場には、それぞれ果たすべき役割があるのです。
イエス様が語られた「忠実な管理人」

ルカによる福音書には、「忠実な管理人」のたとえが記されています。
主人は家を留守にする間、一人の管理人に家や使用人たちを任せました。
管理人は主人ではありません。
家も財産も、自分のものではありません。
ただ、
大切なものを預かる役割を任された
のです。
そして主人が期待したのは、
威張ることでも、命令することでもありませんでした。
家の人たちに必要な時に必要なものを与え、忠実に支え続けることでした。
つまり、管理人に与えられた立場は「権限」ではなく、
責任
だったのです。
権限は自分のためではない

イエス様は、もう一人の管理人についても語られます。
その管理人は、
主人が帰って来ないと思い込み、
立場を利用して人を支配し、
自分の欲を満たすようになってしまいました。
立場を「自分のための権利」だと思った時、
責任は支配へと変わります。
本来、人を支えるために与えられた力が、
自分を満たすための力になってしまうのです。
だからイエス様は、
「多く与えられた者は、多く求められる」
と語られました。
能力も経験も、立場も影響力も、
誰かを生かすために託されたものなのです。
与えられた責任が人を育てる

韓国ドラマ『鉄槌教師』には、印象的な場面があります。
学校で問題が起きても、周囲の目を気にして何も言えなくなっていた教師がいました。
心が折れ、教師を辞めようと考えていた時、自分を信じ、応援してくれている生徒たちの存在を知ります。
そして教壇に戻った彼女は、生徒たちの前でこう決意します。
私は教師として、みんなを正しく導く責任がある。
その瞬間、彼女は「教師」という肩書きを持つ人ではなく、
本当の意味で教師になったように感じられます。
人は、責任を果たそうとする中で、その立場にふさわしい人へと育っていくのでしょう。
今日、自分に託されているもの

私たちは皆、それぞれ違う立場で生きています。
親として。
夫として、妻として。
職場の責任者として。
あるいは、誰かの友人として。
その立場は、自分のために与えられたものではありません。
誰かを支え、誰かを育て、誰かの必要に応えるために与えられています。
もちろん、最初からその立場にふさわしい人はいません。
悩み、失敗し、それでも責任を果たそうと歩み続ける中で、
少しずつ、その人らしい信頼が築かれていくのでしょう。
今日、少しだけ立ち止まって考えてみませんか。
「今、自分には誰が託されているのだろう。」
そして、
「その人のために、自分にできることは何だろう。」
その問いから始まる毎日の積み重ねが、
きっとあなた自身を育ててくれるはずです。
聖書のことば
多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される。
(ルカによる福音書12章48節)
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ブログの感想
親としての責任は我が子を自分の所有物としてではなく、神様からお預かりした神様の子女であることを忘れずに、神様の愛を伝えていくことであると思いました。
リーダーが責任から逃げれば被害を受けるのはメンバー。不足であり負担であっても相応しい自分になるために自分が成長する。
私にとって一番大事な位置と役割は、神様の娘である、というものだと感じました。

