大切なものほど、後回しになっていませんか?|人生の「最初に入れる石」

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「大切だと分かっているのに、いつも後回しになってしまう」

そんなことはありませんか。

家族との時間。
自分の心を整える時間。
神様に心を向ける時間。

どれも大切だと分かっている。

それなのに、目の前の仕事や家事、急ぎの連絡に追われているうちに、一日が終わってしまう。

それはまるで、朝、デスクの上に「神様」と書かれた大切な書類を置いていたのに、

次々と「緊急」の書類が積み重なり、気づけば一番下に埋もれてしまっている——という状況なのでしょう。

問題は、「何が大切か」を知らないことではなく、

大切なものを、最初に置けているか

にあるのかもしれません。

人生には、「優先順序」があるのです。

大切なのは「何をするか」だけではない

物事には、順序があります。

歯を磨いた後に食事をする。

シャワーを浴びた後に筋トレを始める。

温泉に浸かってくつろいでから富士山に登る……。

順番が逆になるだけで、せっかくの行動も意味をなさなくなってしまうのです。

故障した自動販売機で、

お金を入れてボタンを押したら、まずコーヒーが流れ出し、

その後にコップが出てきたらどうでしょう。

必要なものは全部そろっています。

でも、順番が違うだけで台無しです。

人生も同じなのかもしれません。

何を大切にするかだけではなく、

何を「まず」大切にするのか。

そこが、私たちの生き方を大きく左右するのです。

人生の壺に「最初に入れる石」

優先順位を考える時によく知られている、「Big Rock(大きな石)」の実演があります。

講師が大きなガラスの壺を用意し、まず拳ほどの大きな石をいっぱいまで入れます。

次に、その隙間へ砂利を入れる。

さらに砂を入れ、最後には水まで注ぐ。

すると、壺にはすべてが収まります。

では、この実演が教えていることは何でしょうか。

「予定がいっぱいでも、工夫すればまだ詰め込める」

ということではありません。

大切なのは、

大きな石は、最初に入れなければ後からは入らない

ということです。

私たちは時々、

一番大切なものを手に持ったまま、

小さなもので人生の壺をいっぱいにしてしまいます。

仕事。

家事。

スマートフォン。

予定。

人からの頼まれごと。

どれも必要なものかもしれません。

でも、先にそれらですべてを埋めてしまえば、本当に大切なものを入れる場所がなくなってしまいます。

では、あなたにとっての「Big Rock」は何でしょうか。

幸せにも順番がある

『精神科医が見つけた3つの幸福』では、人の幸福を大きく三つに分けて紹介しています。

  1. 心身の健康から生まれる幸福
  2. 家族や友人とのつながりから生まれる幸福
  3. 目標達成や社会的成功から生まれる幸福

そして興味深いのは、この三つにも「順番」があるということです。

まず心身の健康。

次に、人とのつながり。

その土台の上に、仕事や社会での成功がある。

どれだけ社会的に成功していても、心身がボロボロになり、家庭に居場所がなくなってしまったら、本当に幸せと言えるでしょうか。

家族のために仕事を頑張っていたはずなのに、

いつの間にか仕事のために家族を犠牲にしてしまう。

私たちは時に、目的と手段の順番を逆にしてしまいます。

幸せにもまた、優先順序があるのです。

「何を食べようか、何を着ようか」

聖書の中で、イエス様はこう語られました。

何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。
(マタイによる福音書6章25節)

当時の人々にとって、

「明日、何を食べるか」

「何を着るか」

という問題は、今以上に切実なものでした。

イエス様は、食べ物も衣服も必要ないと言われたのではありません。

食べ物は、命のためにある。

衣服は、体のためにある。

私たちは「生きるため」に食べ、着るのであって、

「食べて着るため」に生きているのではありません。

ところが私たちは、いつの間にかその順序を逆にしてしまうことがあります。

生きるために働いていたのに、働くために生きるようになる。

家族のために仕事をしていたのに、仕事のために家族を犠牲にする。

イエス様はここで、

人生の優先順序を正そうとされたのではないでしょうか。

空の鳥と野の花

イエス様は続けて、

「空の鳥を見なさい」

「野の花を見なさい」

と語られました。

空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。
(マタイによる福音書6章26節)

これは、「何もしなくても神様が何とかしてくださる」という話ではありません。

鳥も毎日、餌を求めて飛び回ります。

けれど、明日のことに心を奪われるのではなく、今日という一日を生きています。

また、野の花についても、

栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
(マタイによる福音書6章29節)

と語られます。

「もっと持たなければ」

「もっと良く見られなければ」

そんな外側のものに心を奪われる私たちに、

あなたはすでに神様に大切にされている。

必要以上の思い煩いに、心を奪われなくてもいい。

そう語りかけているようにも感じます。

「まず神の国と神の義を求めよ」

そして、イエス様はこう語られました。

まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
(マタイによる福音書6章33節)

ここで大切なのは、

「まず」

という言葉です。

仕事も大切。

家庭も大切。

生活も大切。

それらを捨てなさい、という話ではありません。

問題は、

人生の壺に、何を最初に入れるのか。

ということです。

「神の国」とは、どこか遠いところにある世界を言うのではありません。

神の愛と願いとが、自分の人生や家庭の中に現れてくること。

そして「神の義を求める」とは、神様の願いにかなった生き方を求めることです。

家庭を愛する。

誠実に働く。

人のために生きる。

つまり、神様を第一にするとは、日常生活を捨てることではありません。

神様の願いを第一にして、今ある日常を生き直すこと

なのです。

必要なのは「新しい一日」ではなく「新しい心」

映画『恋はデ・ジャブ』では、タイムループに陥った主人公フィルが、同じ一日を何度も繰り返すことになります。

最初はその状況を利用し、自分の好きなことをして、欲しいものを手に入れようとします。

でも、どれだけ好き勝手に過ごしても、心は満たされません。

やがて彼は変わっていきます。

「自分が何を得られるか」ではなく、

「目の前の人のために何ができるか」

を考えるようになるのです。

困っている人を助ける。

人の喜びを自分の喜びにする。

自分自身を磨く。

すると、不思議なことに、同じ一日がまったく違って見えるようになるのです。

世界は何も変わっていません。

同じ町。

同じ仕事。

同じ人々。

変わったのは、

彼の心の優先順序

でした。

彼に必要だったのは、「新しい一日」ではなく、

「新しい心」だったのです。

心の一番上に、何を置いていますか?

「まず神の国と神の義を求めよ」とは、

今の生活を捨てなさい、ということではありません。

人生に新しい予定を一つ追加することでもありません。

同じ仕事。

同じ家庭。

同じ一日。

その中で、

今日、私は何を第一にして生きるのか。

誰のために生きるのか。

何を本当に大切にするのか。

心の一番上に置くものが変われば、

同じ一日でも、生き方は変わります。

忙しさの中で、一番下に生まれてしまっている「神様」という大切な書類を、今日もう一度、一番上に戻してみましょう。

人生の壺に、

神様の願いという「大きな石」を最初に入れる

そこから、心の優先順序を整えた新しい一日を始めてみませんか。

聖書のことば

まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
(マタイによる福音書6章33節)

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ブログの感想

優先順位という言葉に心が楽になりました。壺に最初に入れるべきは神様である事を改めて思いました。

人は御言葉を聞き、少しずつ変わっていくものであり、気づいたら、変わっていたと言うフレーズが心に残りました。小さな気づきから努力する事の大切さを再度確認出来ました。

毎日の生活を神様とともに出発し、できるだけ、一挙手一投足を神様とともになしていくことが、今週の目標となりました。

この記事を書いた人
朝陽ともる(筆名)

信仰をもつ家庭に生まれ育った宗教二世。
長年、宗教二世の牧会相談や家庭相談、若い世代の結婚・夫婦相談に携わる。
現在は、日常の家庭生活や人間関係における信仰のあり方、心の整え方をテーマに、「FPAモーニングサービス」にて礼拝メッセージを配信中。
本ブログでは「朝陽ともる」の筆名で、朝の光が心にそっと灯るようなメッセージを綴っています。

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